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2015.07.11アンティークコイン , コイパレスタッフ , 神戸
神戸とコインの意外なつながりとは!?
神戸とコインの意外なつながり
コインパレス スタッフのカザミンです。
神戸と聞いてお金を連想する方は多くないかもしれません。
しかし、神戸にはお金にまつわる意外な歴史を発見しました。
今回はその歴史について紹介します。
古い歴史を持つ神戸港
神戸といえば古くから海外との貿易が盛んでした。
その歴史は古く、開港は平安時代末期1173年 (承安3年)になります。
参考として神戸港以外と比較すると、
その歴史の古さが際立ちます。
参考:長崎港開港 1571年5月30日
横浜港開港 1859年7月1日
特に神戸港は、平清盛が日宋貿易を行ったことで有名です。
神戸港に関わりが深い歴史的人物
平清盛は1118年に誕生。
1181年に63歳で亡くなりました。
貴族中心である平安時代を終わらせ武士でありながら
太政大臣にまで登り詰めた大人物です。
保元の乱、平治の乱での勝利を皮切りに
栄華を極め特に政権を握った1160年代 ~1185年は
平氏政権と呼ばれています。
『平氏にあらずんば人にあらず』という言葉を残しました。
清盛が神戸にもたらした産物
平清盛は神戸にゆかりがある人物で日宋貿易を行いました。
この日宋貿易によって多くの美術品がもたらされました。
※宋(ソウ)とは?・・・趙匡胤(チョウキョウイン)が建国した中国の王朝の一つ。
日本からは銅や硫黄などの鉱物や木材、日本刀などの工芸品が輸出され
宋からは陶磁器や絹織物、書籍や文具、香料や薬品、絵画等が輸入されました。
さらに清盛は晩年に神戸を起点とし政治を治めようとして、1180年6月現在の神戸市兵庫区平野に都を置きました。期間が短く約170日後に京都に帰還されたことから幻の都と呼ばれています。
清盛はなぜ都を神戸の地に遷したかったのか?
清盛の孫の安徳天皇にふさわしい新王朝建設のために遷したとされています。
つまり遷都による政治的支配を狙ったものだったのです。
宝地院
〒652-0032 兵庫県神戸市兵庫区荒田町3−17−2
宝地院は、平清盛のすすめで福原に都を遷し、二位尼時子に抱かれて入水した安徳天皇の菩薩をと弔うため、弘安2年(1279)に建てられたと伝えられています。
海外のコインがもたらした産物
なんと!平清盛は宋銭を日本国内で流通させ通貨経済の基礎を築いた人でもあります。
なぜ当時の日本が宋銭を輸入したその理由は2点あります。
①銅の採掘量の悪化により、市場に流通させる程の貨幣を供給することが不可能だった。
②貨幣経済が庶民の間では浸透していなかった。
※ここで当時貨幣が一般的に普及しなかった理由を歴史的に補足したいと思います。
日本には皇朝十二銭(コウチョウジュウニセン)と呼ばれる貨幣が存在していました。
皇朝十二銭
和銅元年(708年)~平安中期の天徳2年(958年)までの250年間に発行された銅銭の総称です。
しかし、次の4点の理由から貨幣文化は根付きませんでした。
- 当時の日本が貨幣通貨でなく物品貨幣が主流だったこと。
- 当時の庶民がお金を使うことに慣れていない。
- 一部の上層階級だけにしか流通しなかった。
- 改鋳を重ねるごとに重量の減少や素材の低下が目立った。
これらを理由に958年に発行された乾元大宝を最後に、その後600年間公鋳貨幣が造られなくなります。
日本人に貨幣流通の概念ができたのが、おおよそ11世紀前期。
商業が高まり貨幣の必要性が高まり始めたからです。
自国で貨幣を流通させる力を持たなかった日本は宋銭を輸入することで経済を発展させました。
神戸といえば港町として有名です。
観光スポットが異人館に代表されるようにどこか情緒あふれる西洋の香りがします。
しかしコインという新たな着眼点で神戸を見た結果。
- 平清盛が日宋貿易を行った。
- 日宋貿易がもたらした宋銭が日本の貨幣制度を整えた。
という2点の事実が判明しました。
神戸だけに留まらず日本全体にまで影響が及んだという事実から
神戸はコインでもって『貨幣流通の基礎を作った町』と言えます。
神戸は現在も貨幣流通の地です。






















イギリスコイン






























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